・・・・・・・・・・・■  □  ■  亜希 日 々 是 好 日  * 小さい時のお喋り編 '04.11.19 ■  □  ■ ・・・・・・・・


幸希が、お話ができないとは、まさか 当時の 私は想像だにしなかった・・・ まさか 喋れないとは・・・いや 喋る事すら できないなんて・・・
かなり 落ち込んだ。 
だから 亜希が、話始めた時は、うれしくて うれしくて、何気ない言葉のやり取りが、嬉しく、楽しくて たまらなかった。 

・・・とは言え、絶え間ない お喋り、そして 誰にでも ずっと 話かける亜希に、「チョット 静かにして・・・」なんて 言ってしまう・・・
心に残っている 言葉と その時の事を 思い出にとっておきます。 ママ


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   ■ ■ 1歳半・・位の時のこと ■ ■
「ちからえた・・・クスン・・・」 

がっくりと肩を落として 来るんです・・・「叱られた」って・・・
お話が出来始めた頃、なぜか いつも 言いに来ていた・・・
しょっちゅう 一緒に遊んでくださっていた大人には 大変 ご迷惑な話である・・・
特にパパの同僚 O本さん・・・
まるで 家族のように 過ごしていた人なのに・・・
「ちからえた・・・」「誰に?」「オッカ〜」「おいおい!!」
「何も言ってへんで!!」
1歳のお誕生日の時の 画像かな〜? この頃、本当に 「ブー子」だったので
少しでも 可愛く見えるようにと 可愛い服ばかり着せていたわ・・・
このクマちゃん=熊子 と言う は 毎年一緒に写真を写しています。 
この頃は クマちゃんより小さい位ね・・・

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  ■ ■ 2002年頃  2歳  ■ ■
名言・・・  「私も歩けない」

たぶん、2歳くらいからだと思うけど・・・幸希は歩けないから 必然的にいつも抱っこ。
亜希だって まだまだ 抱っこしてもらいたい盛りの 年頃・・・ この頃って また
難しい 年頃だし・・・
「私も歩けない!!」と よく言われた。 おもしろいような 辛いような・・・。
「そんなん言ったって・・・わかってよ・・・・」と 正直 思う時もあった。スーパーとか・・・ 
・・・その 一番 爆発してしまったのが、七五三の撮影の日・・・ 1人での撮影は 本当に順調だった。
お琴の前に座ったり、大きな 扇子が出てきたり・・・ ノリノリで一人の撮影は終了。
ところが、集合写真で 私が幸希を抱いた事から、機嫌が悪くなった。草履を投げ捨て、
「こんなん いらん!!」
「亜希だって歩かれへんわ !立たれへんわ!!」と べそをかいて 座り込んだ・・・
その時は いじらしい・・・涙・・・というより 「・・・マ・・・マズイ・・・どないしよう・・・」と思った・・・
写真屋さんの カメラマン アシスタント達も  凍っていた・・・
他の家族連れも 「何があったの?」みたいな・・・ 幸希の撮影だけでも かなり 異色やったのに・・・  
幸希は 滑る 着物の為 椅子に座るのも 困難・・・ 幸希をパパに預ける事にした・・・
すると 亜希はママの横に ちゃんと立ってくれました。
偉い 偉い。 うん 可愛そう 不憫・・・その気持ち 察したり、 親としても 色々思うけど
仕方ないんだ。これが ウチなんだから。 一杯 我慢してくれて ありがとう と心でだけ 思った。
「偉かったネ♪」とだけ言った。 我慢していると 感じられちゃ困るというか そうさせているつもりは ないから。
これが ウチのフツーなんだよ。と 体感して欲しい。
画像:その後の 写真です♪ 笑っているでしょ? ちょっと 『どつき漫才風』のママでしたxxx



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2003年 7月の事
    ■ ■ 2003年  8月のこと ■ ■ 
「太陽が 海のお風呂に入った〜ヽ(^o^)丿」と大喜びでした。 

これは 夏の旅行で 北海道に行った時のことです。
京都の 舞鶴から 小樽まで 新日本海をフェリーで行きました。
30時間ですxxxx
何が大変って 子どもと30時間の 事実上密室というのが・・・涙・・・
もちろん 船上デッキとか ジムとか シアターもあるんですけどネ・・・
日没を船上から見ました。夏なのに とても寒かった!
ありとあらゆる服を着て見ていました。
海に沈む夕日なんて ママもそうそう見た事がなくて 本当に綺麗でした。
画像 右:函館 トラチピヌス修道院の ★ 心に染みる 言葉 ★



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   ■ ■ 2003年 6月のこと ■ ■
「幸ちゃんは 病気で歩けないの。これ(バギーにつけた、車椅子のマーク)は『この子は歩けないんですよ』ていうマークなのヨ♪」  と 説く・・・

この夏はまだ 幸希は 赤ちゃん用のB型バギーを使っていました。 これで バスや電車に乗ると、「たたんで下さい」と
言われたり、言われなくても はた迷惑だなという 視線を感じる事があって、困っていました。 
そんなわけで ある時から車椅子のマークをぶら下げるようにしました。 「あの子は歩けないのね」と思ってもらったらいいや・・・と思って・・・
単なるベビーカーではないんです・・・的に。   当然 亜希も「これ 何?」といつも 聞いていたから 私も 普通に説明していた。 
さて、この年の夏、夫が1ヶ月 東京に出張に行った。私たちも 10日間程 遊びに行ったんだけど・・・
その 滞在地が 浅草まで歩いて行けるような 下町界隈だった。 子どもが少ない下町で おばちゃんと おばあちゃんは 山程いた。
しかも 達者。 ちょっとした商店街で 、ショッピングをしていたときの事・・・
幸希と亜希は、ちょっと 横っちょの方に置いて、私は 色々物色してた・・・その時 何やら 、娘の話声が聞こえるではないか・・・
周囲を江戸っ子の 奥様方が3人くらい・・・亜希と幸希を 取り囲んでいた・・・「何だ 何だ・・?」と 陰から 見てた・・・
奥さん方は 「あんた 小さいのに 偉いね〜!」  「年は、いくつだい?!」  「これ、食べるかい?」
「そりゃ〜 幸ちゃんもサ、アンタみたいな 妹がいて幸せだよ!」すごい・・・・人生観まで説いてくださるとは・・・・
そして「飴、食べれるかい?」「こっちは 幸ちゃんに あげんだよ」 各人 かばんから 飴に バナナに キャラメル・・・
たくさん 下さった。ご丁寧にビニール袋に入れて・・・ 皆さん 内海 桂子師匠のような 雰囲気の方々でした。
東京でも 大阪でも おばちゃん は素敵だ! おばちゃん 万歳!!!   ?



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   ■ ■ 2003年  春 頃のことかな〜  ■ ■ 
「うわ〜!!  これってすごい いい考え!!!幸ちゃん、立ってるやん! すごいやん!!」

幸希の訓練の方法が あまり 立位を取らない ボイタから ボバース?? 機能訓練? そのへんはあまり
わからないんだけど、立位を積極的に取る訓練方法になって、W園 B先先生の おはからいで  
『立位台・英語名:プロム・ボード』というものを
貸して頂いて 家で 使い始めた。
保育所から帰宅した亜希が その幸希の 後姿を見て、 大喜びで 叫んでいた。(^_-)-☆ 嬉かったんだね。
で、時々 一緒に立ってくれていたxxxx


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   ■ ■ 2003年 9月のこと ■ ■ 
「大ばあちゃんが笑ってる、お〜い 大ばあちゃ〜ん♪見てて下さいねぇ〜」

亜希の 大ばあちゃん・・・ママの 母方の おばあちゃん・・・が 亡くなった日は 見事な 満月であった。田舎の地で見たから あんなに 美しかったのか・・・?  
大おばあちゃんは 本当に優しくて 亡くなり方も 本当に 誰にも迷惑かけずに 眠るように亡くなった。そんな 彼女の人柄か・・・
大ばあちゃんの顔を なぜてみたり 顔を見たり して 『死』というものを感じたろうか・・・体は 死んで無くなるけど
心は ずっと あるんだとか 亜希と 色々 話した。よく 亡くなったら 星になる・・・というが、なんとなく 
『お月様になったんだよ』と 説明した。 
その頃 「お月様 こんばんわ」という本が 大好きで 月= 笑う ・親しみがある  みたいな感じで 私もなんとなく  そう言ったのか・・・?
その時の 気持ちって 自分ながら よく わからないんだけど・・・
その年の9月は 本当に月の綺麗な夜が多かった。 月を見たら いつも 手を 振っていた。

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   ■ ■ 2004年  3月  ■ ■
「泣いたらどうやって 涙をふくん?」

イラクの 「アリ君」 を覚えているでしょうか。イラク戦争で 両腕と 家族全員を失った男の子です。さかんに テレビで
その様子をや放送していましたが・・・腕がなくなった 彼を見て 亜希の質問でした。
「強いから 泣かないよ」と言いましたが それで よかったのでしょうか・・・
少々 残酷でも わざとそういう映像を 亜希に見せていました。戦争の悲惨さを 幼いながらに受け止めて欲しい・・・
と思っていたのです。テレビではネットと違って 一応 もろに 強烈な シーンは ありませんが  銃撃のシーン 
空爆のシーン、 詳細は見えないけど 転がる遺体・・・
「あれは 皆 死んだのよ!鉄砲で撃たれてね!!」  「なんで そんなんするん」
「ブッシュがフセインとケンカしているのよ」  「なんで」「前に フセインの仲間が (ホンマに仲間なのか・・・と思いつつ)
アメリカのビルを壊したからね」 「知ってる」   この時の 画像は 覚えているみたい・・・というか それを見る 大人の ただならぬ雰囲気・・・?かも
「保育園では ケンカはダメなんだよ。子どもは殺したら可愛そうよ」 「可愛そうなのは わかっていて、するのが 戦争なのよ」
「日本にも 戦争 来る?」 「日本は 『戦争放棄』と言って 戦争は 絶対に しないのよ」・・・・
話が大変、難しくなる・・・

画像:私の中で 忘れられない新聞の 一面なんです。 亜希を白人にしたような ぽちゃぽちゃした女の子のパパが 出兵するみたいで・・・涙
彼女のパパは無事に 帰宅したでしょうか・・・・



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