decfirst
2003年12月1日 幸希 5歳になりました
幸希の誕生日に思う事 私の気持ちの整理
私は 幸希の誕生日が嫌いなんです・・・・少なくとも、昨年までは…
出生時が辛かったのはもちろん、1歳でも 立たない・・・・・心配・・・・
2歳では、やはり歩かない、喋らない、座れない…入院もしたのに…
3歳で 身体障害児手帳をもらうことが決まった…悲しかったです…
4歳の時は 色々と悩んでいた… どうすればいいのかわからない…
町がクリスマス模様になってくると、だんだん憂鬱になってくる。
楽しくてワクワクな12月なはずなのに 嫌い。心から 笑えない。
年々 幸希の年と、できる事に「開き」が 出てくる。重荷だ…
「あの時はこうだった」「ああだった」と あれこれ恨み節になってくる、
でも今年は、いつもとは少し違う気分で迎えられたような気がする…。
↑本日の空と甲山・・・・なんかずっと天気悪い・・・気温は16度 12月にしては暖かいですけどね。
右: 今日のトップニュースです。ここに引っ越してきてから始まったイラク戦争。悪化の一途。
↑再来週、また脳外科の診察があります。それに先駆けての、CTの検査にN市中央病院へ。
前にここで撮った画像で 水頭症が見つかったので憂鬱 待つのってイヤ。ドキドキ…。
↑はぁ…と、タメイキ1つのところで、呼ばれた。「ん?」2分で終わっちゃった! 笑 CT って速攻なのね。よく寝てます。車中。
家に向かって帰宅中、こんなに 綺麗な光が・・・きっといい結果だと祈ろう〜 171号線の西宮体育館の横、もうすぐおうちだよ
↑朝、届いたメール。HP作成を手伝ってくれた Taeko先生はさすが、カードも凝ってる! 療育園のみ〜ちゃんからも…。
みんな 本当にありがとう!ところで うちの失礼な夫・・・ヘリコプターのハロルドが、私と似てるって言うんですよ!
誕生日の前日、友人から喪中葉書が来た。よく見てみると、「亡長女」とあるではないか!驚いて電話をした。何から話していいのか
わからない! 電話口で言葉に詰まってる私に いたって普通に話してくれた…不治の病いでお子さんを亡くしたのだそうだ。3歳と
言えば、亜希と同じ年。どんなにかカワイらしかっただろう… どんなにか悲しかっただろう…。かける言葉が見つからなかった…。
私は彼女に幸希の障害の事を知らせていなかった。彼女は私から見たらとても幸せ一杯で、そんな友人にさえ私は心を閉ざしてた。
だから実際に会うこともなく電話も5年ぶりだった。彼女は どんなに障害や後遺症が重くなっても生きていて欲しかったと泣いた。
「どんなに障害があっても、生きててくえれたら一緒で、幸せやし、希望も持てるしね…死んでしまったらそれで終わりやもんね…」
それって…「幸希って漢字は 幸せに希望の希です。」と同じじゃないか…夫もあの時、息子の死に直面してそう思ったのだろうか。
うまく言えないんだけど…生まれてきてくれてありがとう。そして頑張ってきてくれてありがとう。これからもずっと一緒にがんばろう。
Next..... 5歳の盛大な誕生会 笑
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