cemetury


・・・・・・・・・・・ 横 浜 お 気 に 入 り  ・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・  ■   外 国 人 墓 地   ■   ・・・・・・・・・・・・
 

  横浜市中区山手96 横浜市営地下鉄 みなとみらい線 「中華街」より徒歩7分 少し 坂。

 OPEN 10:00-17:00 定休:月曜.祝日の場合は 開放。 年末年始は休み。

入園料なし。 墓地保存の為、すこし 募金をお願いされました。 



この前 母が来た時に 「流れ」で 行きました。それまで 『墓地に観光に行くなんて なんか イヤやなぁ〜』怖いって
わけではないんですが、 人の念とか そういうのが ありそうで行かなかったんだけど・・・行ってよかった・・・・

1853年 「黒船」でやってきた ペリー提督が 翌年も 来日。その際、事故死した水兵を 埋葬したのが始まりだそう。
ペリーの「港の見える土地を」という 条件にも みあってこことなった。でも 墓石は 皆、町、家族のほう?を見ているような感じがした・・・
その後、外国人と 日本人との殺傷事件というのは 頻繁にあったらしい。 代表的なものとして 1862年の「生麦事件」など・・・

そんな方々とか、たくさんの日本の為に貢献、開国の天秤をかついでくれた 外国の方が 静かに眠っています。墓石は2500程。



          




↑ ?合掌するマリア像は 珍しいかもしれません・・・っていうか マリアは 祈る手?もしくは 子どもを抱いている・・・?
とても 風が強く、雲ひとつない日でした。 「ここには 何を入れるの〜?」  募金箱です。

正面入り口を入ったら、右手に 山下町〜みなとみらい まで 景色が一望です。本当に 時代が 交錯した空間です。 
ここに眠る方は 日本で初めて英語を教えた人、ボーイスカウトを始めた人、孤児救済事業のさきがけ、鉄道を開通させた人、
キリン・ビールへと繋がる事業をしていた人、フェリス女学院・青山学院・YMCAの校長、シスター達 聖書を伝道した人、
聖書の和訳版を完成した人、ヘボン式ローマ字を広めた人、薬局方を制定した人 、娯楽の少ない居留地で競馬を発展させた人、
銀行の頭取・・・など 本当に、今の私達の生活に 欠かせないものを 持ち込んでくれた人達だったのだ・・・と思います。

当時 海外へ、まして 野蛮な(?)日本に行く・・・という事を彼らは どのように 受け止めていたのでしょうか。
今と違って、海外に行くという事は 簡単には 帰れない。まして 『開国』に行くのですから 何が起こっても
不思議はない・・・・きっと 皆さん 「死」も覚悟の上で 来日だったのではないでしょうか・・・・
まさに 『骨を埋めるつもり』で。  それが 今の 自衛隊のイラク派遣などと だぶるような、そんな気がして
胸が きゅっとなりました・・・シドニーにもマッコーリー総督の奥様がいつも 英国の方を見ていた・・・
とされる 岬がありました。 やはり 二度と祖国の地を踏む事はなかったそうですが・・・・




    




資料館があって、当時の歴史的な 出来事や 写真 などがパネルで 展示されています。 
アンティークな窓枠越しに見るみなとみらいの景色が なぜか 目に 焼きつきました。



  



※ 生麦事件

1862年 薩摩藩の島津氏の 大名行列が 京都〜江戸に向って 今の 横浜市鶴見区生麦界隈(めちゃ 近所)
行列していた際 4人の英国人が 馬のまま 横切った為、武士に切りつけられ、1名が死亡 2名がケガをしました。
英国人は 行列を横切る事が 無礼であると知らなかったそうです。英国は 報復のかわりに 幕府と薩摩藩に
賠償金 および 犯人引渡しを命じましたが 薩摩藩は 拒否したため、英国は 薩摩藩に戦争をしかけました。
これが「薩英戦争」です。この時は 圧倒的多勢の英国軍の勝利に終わったものの 英国軍の死者が薩摩藩よりも
圧倒的に多かったので 英国は薩摩藩の力を認め、互いに 明治維新へと 歩んでいく事となりました。


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