cooking index2


日 々 是 食 ちょっと 寄り道


       

我が家の 「教育」というか 「子育てのポリシー」というか 教育方針というか・・・・・なんて言ったら いいのかな?ま、とにかく 
そのようなものは、結構 シンプルで 「 読み・ 書き(描くも含)・ そろばん・ 挨拶・きちんと食べる」 それだけなのだが・・・
「きちんと食べる」事には 夫が タイヘンに 厳しくて、子どもが、「遊び食べ」とか 「肘をつく」「残す」「箸をヘンに持つ」と
容赦なく あの でかい手で ビンタです〜 ブルッ・・・・怖・・・・ 障害児の幸希も 同じく やられます(>_<)ま、音はすごいんですが 
そんなには 痛くない・・・事を 祈っておこう・・・・「食べ物を粗末に するなっ!」って事で・・・・さすが 開拓魂・・・・ 

夫の一族は 北海道にいます。おじさんご夫妻は 今も農家で 農家の御苦労を耳にします。おばあちゃんも現役です。…夫の父も 
小さい頃は 食べる事には 本当に御苦労だったそうです。 もちろん 農業を手伝って 学校にも 行けなかったそうです。 涙…

他のページで紹介したかもしれませんが、夫のひいおじいさんは香川県の高松から 北海道の 倶知安(ニセコ近郊)に開拓に行きました。
高松の本家のおじさんは 幸希が生まれてから「先祖探しの旅」で 押しかけて以来 ← 突然 びっくりしはったやろな〜・・・よくして
頂いてて、そちらも農家です。春には 色々な豆 秋には 米・柿・小芋を どっさりこと 届けて下さいます。なんだか 悪いな〜…

私の父は 神戸の都会育ち。 そのテの、「ひもじい話」は 父の陽気なキャラのお陰で かなり おもしろ おかしい話になるのですが 
とにかく 「食えるものは 何でも食った」といつも言います。今でも ご飯を 残しませんよ〜彼は。 聞いた話では、バッタ いなご 
川で捕まえた フナ 鯉 貝 芋の葉っぱ つる 等。戦後は 進駐軍の知り合のお陰で、コンビーフ大好き 少年になったそうですがね。

母は 田舎の裕福な農家の元気娘、でも 当時の農家というのは でこでも 本当に 子どもも 一家の働き手だったようです。
姉妹は全員 都会に嫁ぎました。 それ程 農業は 大変!!! 皆「農家に嫁は 絶対にイヤ!!」 だったと言います。今でも
都会の人が脱サラで 農家に行く・・・みたいなテレビ番組を見て「そんなん、絶対に でけへんって☆」 と いつも 指摘。 

この前 テレビを見ていて 若いお嬢さん達が 「食べるのが 面倒くさい」
「食べずに済むのなら なるべく 食べずに過ごす」と言っておられました。

食べるのがとても 楽しみな私には 信じられない想いでしたワ・・・

うちの子は 幸い 口から食事ができて 元気です。障害によって 口から お食事はできないお子さんも居らっしゃいます…
難しい事は いいとして、肉も野菜もなんでも「命を 頂いて食べてます★」という事を知ってくれたら いいと思っています。

そういうわけで 魚や肉は 亜希に 機会があると ガンガン 包丁で切ってもらいます。大人用の 小さい 包丁です★ 
セラミック包丁を買おうかと思ったけど 機会がなくて…「手ェ 切ったら 痛いでぇ〜・・・」とは 言ってあります…
彼女が 魚を 初めて切った時、血を見て 「アレ? 魚って 血ィ あるんや・・・」と言っていました。
死んだ 魚を見て、「目が 開いているから 生きているよ!死んでない!! 」とも 言いました。

幸希は 難しいお手伝いはできませんが 人参の皮をピールする、豆の皮をむく・・・ そんな事はやりたいみたいです。
野菜を触る事で 野菜に親近感がわいたのか?? 食べるようになりました。手先の訓練にも なる?一石二鳥だ…  

こんな事が 【 食 育 】になるかどうかは わかりませんけど・・・・

ところで 私は 世界史と地理が 好きで、それらを組み合わせて 考えるのは 「地政学」と言う立派な学問なのですって。
(タケゴンが言っていた... と夫が言ってました。タケゴンが言うくらいですから きっと 外国でのことでしょうね.....
日本では 文化人類学みたいなカテゴリーか・・・と思います)でも それは 自分自身の見解が多いので その分野の教授って
人は 殆ど居ないのですって。唯一 英語学校の時の校長先生が そういう授業を 行っておられましたが・・・・
かなり 使われる英語が難しくて 私の 理解度が低く 惜しい事をしました。

最近は そこに もう1つ 「食や料理」を組み合わせたら もっとおもしろかったり次に? まず? お酒 
そして器もあります。茶も あります。茶と言えば お花に 書に・・・モー 大変。 楽しいでしょうな。笑

余談でしたが・・・


もどる

Mama Top .....Home