すぐに 新年 1999年  1月・2月 


 

↑ パ パ と 初 め て の 握 手 だ よ 

      生 後 1 ヶ 月 を 過 ぎ て  

   
年が明けて なんとなく、幸希は元気になっていったようだった。以前は、体重の増加はヒトケタだったのに、10gとか20gと
増える事も珍しくなくなっていった。その後 酸素もとれて(簡単に言うと、保育器の中に酸素を漂わせていた) 沐浴も始まり
お腹がすけば、哺乳瓶の乳首をくわえていたり 赤ちゃんらしい仕草を見せてくれた。 この頃から かわいらしく見えてきた。


     


生後40日後には、保育器から出て 口経で母乳を飲むようにもなって、たったの10ccから始まった。初めて、哺乳瓶でミルクをあげた時
感激と、緊張と抱き方もわからずで汗だくだった。未熟児室は気温が30度近くあるし… ミルクを吸うタイミングと、飲み込むタイミング
が難しいのだろう、口がアップ アップしたり、むせたりした。あまりにも むせるのがひどかったら、ふぅ〜〜〜っと、気が遠くなって
顔面が蒼白になったりした。 その時は背中を叩いてトントンしてあげたり、私と幸希の間に「疎通」」ができたような気が初めてした。

でも これこそが、私が憧れていた、「生 命 力 だ よ ぉ 〜〜  !!」と 感じた…

    




       退 院 へ 向 け て 


このまま 順調に行ったら退院だ。待ち遠しい。でも、この頃、体重の増えが とどこおり 母乳の成分を調べたら あまりもう栄養がなかった。
もう、母乳はやめて ミルク、しかも 栄養素の高いミルクになった。そして、未熟児は、体に比べて頭の比率がかなり大きいそうで、頭皮から 
体温を奪われていくのだそう。 保育器から出たら、体温調節が 非常に難しいから…と 毛糸で帽子を編むことになった…。叔母に手ほどきを…
というかほぼ作ってもらった。少し 安心というか なんか、私にも 幸せっぽい瞬間がやっと訪れたような気がして、本当に嬉しい時期だった。

だが…あいかわらず CRP(ウイルス感染)の値は、点滴を中断したら上がってくるのだった。いったい何が悪いのか…?油断はできない…。

抗生剤の点滴を、きついものにする事になり、念のため、かなり長期間 投与することになり、手首・足首・腕…あらゆる血管に 針を刺した。
血管が もろくなってきて、今 点滴を刺している血管が もろくなったら 次は 頭部の髪を 剃って 頭の血管に 刺すしかない…というところ
まできていた。なんて恐ろしいこと…と思ったのだが、最後、点滴の針が挿せる最後の血管がもろくなった時、完全に感染が治まってくれた… !

眼科では、高ビリルビンの黄疸治療の光線を受けた影響で『未熟児網膜症』の疑いがあり、辛い検査も頻繁に受けていたが、心臓も 腹部も脳波も
特に異常は見つからなかった!! 嬉しい!! 神様 ありがとう!!あとは少しでも大きくなって、退院する日が来るだけ・・・・・という感じだった。


     80日間 あ り が と う  


事実、幸希は予定日の 2月19日に退院する事が決まった。未熟児室での生活も長かったので 熱血の小児科医の部長先生を始めとして、たくさんの
小児科の病棟の看護婦さん達とも、本当にお名残惜しかった。感謝で一杯の気持ちで退院した。 ありがとう。あれほど「ありがとう」と思った事が
私の人生の中にあっただろうか…と今でも思う。 医療現場で働く人が皆、神々しく見えた。なんて素晴らしい職業…、以来ずっと思っている…。

幸希の人生を暗示した… のかどうかは わからないんだけど 退院の日の当日のこと。早朝は快晴、午前は 雨・風・雷。そして 午後は 雪…。


  



↑ 小児病棟内にある未熟児室。大病院の NICUとは 少し違うのでしょうが… 幸希は生まれた時、どこかに搬送する予断を許さなかったので
ずっとここで治療…というか、兵庫県立こども病院は、幸希が生まれた時、電話で受け入れをお願いしたそうだけど満室で受け入れられなかった。

まず1番心配だった治癒が落ち着いてくると、とても心配な事があった…幸希の入院の費用は いったいいくらぐらいかかるのだろう・・・・。現金なもの。

約80日、入院しているから 1日 3000円としても 250万円…そんな大金、あるわけない。あれだけの治療をしてもらって1日、3000円ってはずがない…。
親に借りようか…でも、自分たちでも ちょっとは工面しなくては・・・しかし貯金もたいしてないし…と、夫と真剣に話し合った。話し合って出した結果
当時、BMWのスポーツタイプの限定車に乗っていた。あれを売ったら 100万くらいにはなるだろう。 あとは 実家の親に同居させてもらい、家賃を浮かす。
そんな事を大真面目に相談していた。生まれてすぐ養育医療や 未熟児医療 福祉医療などの手続きを行っていたにも関わらず理解できていなくて…苦笑。

入院代の請求は全くなく、実費のオムツ代が1日 1000円。このオムツは市販のものよりも 割高なのだけど、他 薬の瓶代が50円とか、そんな金額だった。

これが、幸希が受けた社会的な手当ての最初のものであったと思う。ちなみに、入院費用は、もしこの手当てがなければ 280万円位…と先生教えてくれた。

社会保険、福祉医療、乳児医療、養育医療…市役所に出生届を出したのと同時に、全ての手続きを自動的に言われたままに行ったので理解できなかったんだろう。

 1999年 2月19日 幸希、ついに 退院 !! 1072gだった体重は 2728g になった !!




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