みたま祭
◆ 靖 国 神 社   み た ま 祭   2005年 7月13日〜16日 ◆
 
靖国神社に行きました。初めて行ったのは2年前の6月。東京長期出張中の夫を訪ねた時… 「東京観光」の
けいけい母 も一緒で、観光の最後に「お父ちゃんに お参りがしたい」という一言でした。大雨の為幸希と私
は駐車場で待っていましたが 窓から見る  雨にぬれた緑が 静かに 非常に色濃かったのが印象でした。

今回は 夏祭りの雰囲気も あわせもった「みたま祭」に来ました。 暑くもない 梅雨の終わりの夕べ。色々と
その存在すら 物議をかもしている『靖国神社 』です。神社の規模としては そんなに大きくはないような気が
しました。 島根の出雲大社のほうが よほど 大きく 不気味に感じました。(よろずの神 集まるってカンジ) 

ところが昨日、靖国神社に行き、本殿の前に行った所、ぞくぞくするのです。「悪寒」なんかとは違うんですけど
そして 足にも 腕にも「さ ぶ い ぼ」(鳥 肌)が 出るのです。私、霊感は 全然ありません。 霊的体験も
全くないのよ。しいて言えば、幸希を生む前に、「川の流れと お花畑」を夢の中で見た…という事だけでした。

確かに母の父=祖父 が戦争では亡くなってますが、母さえ顔は知らない祖父ですんで。私に何か言いたい
とか そんなもんありませんわ。   知り合いに「○○さんの 霊が ウチに来るねん!」という人が居たの  
ですが、それを聞いた、○○さんの 奥さんが「なんで あんたトコに行かなあかんねん! 来るんやったら  
まず 一番に 私のトコに来るやろ!!(-_-;) 」いうて 大喧嘩ですわ…。ほんま その通りやと思う・・・。

ほら スピリチュアルな世界の 江原なんやら先生が言うには(うちの殿「あいつ アホやで!」と一刀切り)
ああいう  想い半ばで亡くなった人のところに、幸せな家族や 恋人が行くのは いけないそうでなんでも
「羨ましくて憑依されてしまう…」との事で 私は霊は信じるけどそういうのは一切信じないので行きました。

まさしく 老若男女で一杯です。戦友会のご老人、ご遺族も多いせいか バリアフリーはバッチリです。ホッ

修学旅行?の生徒さんたち。街中よりは 少し 遠慮して 地べたに座って 焼きそば とか 食べてます。
近所の人たち、昔は 絶対に居ないと言われていた 外国人、デートしてる若者たち で賑わっています。

まぁ ちょっと 肩と腰を くねくねっ ★ と 組んで 本殿に参るのは ちょっと苦笑ですが(どこの神社や
仏閣でも お参りの礼儀ってありますもんね。誰??お寺で 柏手打っている人は・・・!とかね。) やはり 

靖国神社は あり続けてくれなくちゃね。というのが 私の意見です。


首相の参拝? コイズミさんどんどんしてくれ。 毎日 国会行きしなに 寄ってくれてもええんちゃう?

※ これ読んで気分悪い人、直感で言っているので 掲示板に難しい言葉で大反論とかしないで頂戴。

この靖国神社存在が、「戦争の遺産や象徴」で いいんじゃないか? と思います。負の遺産でも なんでも。

目が廻る程情報が多い今の社会では 今朝起こった事が いつの事やったっけな?と考える程テンポが早い。
関係ないことは どんどん 自分の中のソフト・ウェアから削除、削除、していかないと機能しなくなる。そのうち 
日本の過去において、世界と戦争した事があった・・・なんて事は 皆 忘れるんじゃないか?…というか・・・

「そんなこと どうでもよくなる」というか 「日本は 戦争放棄しているんだから いいのよ」・・・と戦争に対して
「考えもしない」 まさに 対岸の火事状態…になるのではないかと憂慮します。それを考える「世界の象徴」で
靖国はあり続けて欲しいと思う。実際は アジアの象徴やろうな〜。アメリカやヨーロッパはは眼中になさそうやし

確かに  今の若い人が 「アメリカと戦争していたの??!」と言っていたのをテレビで見た事がありますけど
学校でも 「触れられない」…日教組が うるさいし、いまどき、そんな 「青い先生」はおらんやろ。私が小学生の
時には そういう先生が 多かった。 ♪イムジン川♪ とか 歌ってたしな…。「はだしのゲン」読まされたりな。 
教科書にも「掲載されない(する事ができない)」 日本の戦争のさまざまな事実。それは アジアの国からの「目」
を気にしてるんだろ? さまざまな 歴史上の残酷な事実…は 現実に あったと思う。 でも 国によって 常識や
視点が違うから その国々での 歴史的事実の見方や、受け取り方は違うはず。 実際 私は 昔、戦友会の人が

「慰安婦にはずいぶんとお金を払っていたんだけどなぁ〜」(うら若い私にそんなん言われたって)というのを聞いた。

「戦争」というものが 人間を狂わせた。それと 「群集心理」。震災後の神戸でも 「倒壊危険」という 張り紙を
奪い合っていただろう? (倒壊の危険がある建物に 張られていた「赤い紙」 それを貼られた建物から 優先的に
市や業者が家屋を 取り壊してくれる…というデマが流れ、「張られたその紙」…しかも通称「赤紙」の奪い合いにな
っていた。 もちろん そういう取り壊しに順番とか、優先的に取り壊す・・・なんて事実は全くなかったのだが…。)


私だって 親になり「戦争には絶対に反対」とは思うけど 戦争の渦に巻き込まれた時代だったら 自分だけ声高に

「息 子 は 戦 地 に は  行 か せ な い!」

… と 言えただろうか?  そりゃあ 皆 言いたかっただろう。 母親ってものは…   誰が喜んで出すかいな。
(まぁ 障害児なので「穀つぶし」の非国民扱いだろうが…。)そうして 単に 家族を失う事が なかったとしてその
家族は当時の 戦火の日本社会の中で 幸せだったのだろうか?まだ 「武士道」というものが残っていた時代に
そういう息子達は「犬 死 に」だという事を わかっていたとしても 出征して、戦地におもむく事が「 美しき道」
であると信じていたに違いない。心では泣きながら 親を振り切って 出征した息子達も多かったのではないか…。

国内で「誰に責任がある」とか 「参拝反対」とか「別の参拝施設建設」等が 論点なのではなくて 大切なのは 

「戦 い 以 外 の 解 決 を !」という事を後世に伝えていく事だと思う。 

世界的な流れのテロだって イスラムを国家間の利益でうまく利用して 力でねじ伏せ、今に至る…と思う。

合祀反対が やたら取りざたされていて、東条英機氏のお孫さんがやたら出てきて 皆が揚げ足とって居るけど、
「遺族」という立場ではなくて 「家族」としての立場からしか 見る事のできない私にとっては ナンともいえない。
シドニー湾に夜襲をかけた潜水艦の隊員を祭っている碑もシドニーにあるのよ。ウエストミンスター寺院にだって 
戦没者がまつられていて、首相が参拝するのよ。誰か文句言っているって聞いた事あるかしら? これって 全然
関係ない話かしらね???  関係ないとも言えないけど ごめんなさいね…。 いつも 脱線してしまうの…。笑。

CやKの国も 言いたければ いつまでも言いなさい。自分の国が治められなくなりつつあると 矛先を日本と靖国に
向けるのでしょう?言って置くけど私の知り合いのアジア人は皆 日本と日本製品が大好きよ。皆 アメリカの大学に
行っているわよ。日本がアメリカの占領国になっていたら アメリカ政府にも 同じ事を言ったのかしら?でも 言い続け
てくれる事に価値があるのかもしれないわ。そしたら 戦争を知らない子供たちが 戦争を忘れる事はないだろうから。

アジアの国には 恩着せがましく 言うつもりはないけど お金だって援助している。 特にオリンピックを開催すると
言い放っている程の国が環境問題に話しが及ぶと「まだ 後進国だ」なんて どのツラ下げて言うのかしら? アジアの
人間は 「プライド」 を持ちなさい!! 日本は アジアを占領しようと思ったのではなくて 「結束して 米欧列強国に
立ち向かう」つもりだったのよ。 奴隷にはしていないはず。欧州は アフリカを奴隷にしたわよ。もちろん 心無い者の
行動はあっただろうけど、もともとはCの国にも「教育」をしたのよ。 台湾はそれを今でも感謝しているらしいのよ。殿談

↑ ま、感謝っていうかね、水道設備を始め、水田の水耕整備なども日本人が 現地でやったらしいの。李登輝氏は
今ある台湾は日本人のお陰である」って確かに言っていた。 台湾には 親日家が多いような気がする。元々反Cやし。

その点、中国は イギリスに 文句を言ってみたっていいんじゃない? アヘン戦争。 香港を返してもらったら それで  
ええんかい?    英会話のショーンも言っていたわ。「この前 セブ島に バカンスに行ったけど 僕にとって アジアは
アフリカとそう変わらない…」ってね。アフリカの人には悪いけど アフリカ!! で、「日本は 窮屈だ〜 と今迄思ってい
たけど 帰国してなんて comfortableなんだと思ったよ〜。」って言っていたわ。 アジアのうちの一国の中の人間として
その言葉を聞いて、喜んでいいのやら どうなのやら?「そうなのよ〜日本はええでしょう〜」では 済まないわね・・・。   

まぁ そんなこんなでね。 国と国がそうであるように 人により、それぞれ 靖国神社の位置づけっていうのは違うはず。 
ご遺族にとっては 心の拠り所である人も居るし。 どうぞ 皆さん 実際に 足を運んでみて 「靖国参拝」してみて下
さい。お隣には 「昭和館」ってのもあって、時代が感じられるみたいですし。 私はまだ 行っていないんですけどね。

そして  「華氏911」  「ラスト・エンペラー」  「太陽の帝国」 (インテリア的にも非常に私好みの映画でありました)
「零戦燃ゆ」(中井キイチ かっこよかった)もちろん 「シンドラーのリスト」  「Killing the field」(これはベトナム系)    
NHKの「映像の100年史」  原爆ドーム。 映画や 実録 見てみてみましょうよ。 映画は 誰かの思惑が入っているから
信じられない… 見たってしゃ〜ない… のではなくて、そこから 自分の疑問や 意見を持ち始めたらいいと思うのです。
いつも実家に法事の時に来る坊さんも「故人の事を話すことだけでも供養になる」と言っていました。行って、見て、感じた事
常に話して 前向きに考え続ける・・・(理想は家族で 激論)靖国神社の「みたま様達」への 供養にもなるといいですね。。

死ぬまでには「ホロコースト記念館」にも子どもを連れて行くからね! 

戦い無き時代に生まれた我ら 精一杯 1日 1日 生きましょう!! 

最後に けいけい母を始め 遺族の皆さん、戦争・戦後の辛さを知らない私がこんな偉そうな事色々言ってすいません。

ご拝聴 ありがとうございます。(-人-)合掌

ママ談 


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