・・・・・・・・・・★ ☆ ★これも ノーマライゼーションかも ★ ☆ ★ ・・・・  


 

画像 2000年の12月、広島に行きました。ママのヘンな腕の病気の診察。有名な先生が広島におられた。

たぶん 今から 書くことは また、小林 よりのりさん著 ゴーマニズム的になるかと
思うんやけど なんとなく 私の軽い頭の中で 何かが 
繋がったので 書こうかな〜と思った。
最近 新しいページの増設もしてないし・・・・

8月6日は 広島の原爆記念日で、その前日、なんとなく NHKのテレビを見てた。
「ヒロシマを考える」関連の特集で、昨年、貞子さんの千羽鶴が、関西学院の学生に放火された事件から 
関学では とある教授が、熱心に 平和教育というか 原爆を考えるというか 戦争を考えるというか 
そういう 授業を行っているらしい。

現在、原爆を体験した人の平均年齢というものが、今年で72才なんだそうだ・・・・

・・・・以下 テレビで見た 話・・・

とある 被爆体験のある広島出身の女性が、葬りたい過去だとして今まで 被爆体験を一切 語ろうとなさらなかった。
しかも 終戦後は 広島を離れ、関東で生活されているのだが、(広島が イヤで)
♪戦争を知らない 子供達さぁ〜♪ じゃないけど、もう 「被爆」の事実を知る人が、年々減ってしまう。

そういう 危機感から 被爆の後遺症の 癌におかされた体に モルヒネを打ちつつ、若者に
「ヒロシマの語りべ」として 活動をされている

・・・・そんな 方が 関学にもやって来て、「原爆」について 語っておられた・・・

生徒の 感想が、「そんな 過去の事を どう受け止めていいかわからない」
「あまりに 重い話過ぎて 浮かぶ言葉がない」
などなど 「あまりに 淋しい〜〜涙 」そんな 感想のオン・パレードで、教授の先生も 「あまりに唐突やったかなぁ・・・」と頭を抱えておられた・・・

その 語りべの女性が、今度は 関東の方の中学校・・・に行かれて、また 話をされた。

中学生の感想というのが、
「○○さん、あんなに辛い経験を 話しに来てくれて ありがとう。」
「まだ 子供なので 平和について 何ができるかわからないけど ずっと 覚えておきます」
「平和に 貢献できるように 目を向けていきます」
とか言ってて、その後、「広島を見に行くツアー」を 子供達自身で計画して 原爆ドームとか、資料館に行ったらしい・・・・
もちろん その後の感想文も その語りべの女性に 送ってました。
入院先の病院で、ご主人にその感想文を読んでもらって 「あの被爆で 生きながらえた意味が 今わかった」と 泣いておられた・・・

私も なんで 賢い関学の人が 気のきいた事も言われへんのかなぁ〜・・・・と 心にひっかかって 考えた。

私が 小学校の頃とか、戦争に関する映画の 校内上映とか あったし、券をもらって 神戸市民ホールに 「はだしのゲン」とか 見に行ったよなぁ〜。
「はだしのゲン」は ごっつい直接的な 戦争映画だったけど 他にも 反戦をテーマにした 幻想的な映画も けっこう 見た。
(「2人のイーダ」とか。かわいそうやった)
夏休みの読書感想文の 推薦図書って、戦争物もあったような気もするし。

今って 学校で 「戦争」とか「反戦」って 腫れ物状態になっていて たぶん 全く触れられないんじゃぁないのかしら?

なんか 沖縄から始まった 平和カレンダー(例えば、8月○日 沖縄戦 始まる とか、戦争に関する過去に残しておきたい日々を 集めた カレンダー)
を とある学校の教室にかけていたら ストップがかかった とか・・・・
(再度 広島から 使用の運動が始まったらしいが)

姪っ子の 理紗ちゃんのクラスにも アメリカ人の子がいて、イラク戦争が始まった時も 
「アメリカは、世界で一番偉いんだ!!」とか言っていても 先生は 全く何も触れなかったらしい・・・・

障害児の事だけじゃなくて 今回 繋がった 戦争の事、他の 色んな事も 感性のピュアな時から 
色々 見て 聞いて 知って 感じて欲しい、
また そういう環境を 作って欲しいと 障害児の母の立場からも 健常児の母の立場からも 思った。 
それだって ノーマライゼーションに繋がるんちゃうかなぁ〜・・・・と私は 思ったのであった。
おまけ:お子さんたち 小さいな〜。笑えるな〜
 こんな 時から 車で広島まで連れて行かれてたんか・・・ 画像は 宮島に渡る船内にて。幸希2歳 亜希 10ヶ月の年末。
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