・・・夫の事・・・

結婚して丸8年が過ぎた。なれそめとか 聞かれるから少しお話しましょう〜★

なんか 子どもができて しかも障害児だと 話をする内容も濃くて
昔はいったい何を話していたんだろう・・・そんな気さえする。
でも いい夫と父親ヨ。

知り合ったのは1996年・夏。お互いの友人同士の紹介だった。

当時の私は毎日 神戸・元町の英語学校に通いつつ、学費捻出のバイトをしつつ、 
当時始めたばかりで、雇われの児童英語の仕事・・・
あと、暇と波があったら海に行っていた。サーフィンではなくボディー・ボード。で多忙・・・

初めて、夫と、当時の私の親友の、智ちゃんと3人で三宮に飲みに行って(いわばコンパ)
年も同じで 3人とも、昔、YMOの大ファンだった事とかで 盛り上がった。

余談だが、普通世間の女の子ならタノキンとかなのよね〜・・・

阪急の終電がなくなったからJR で帰宅する程お喋りに花が咲いたにもかかわらず、
その後のお誘いを「宿題が終わらない」(実際 めちゃ厳しい学校だったのであります)
「明日は、ええ波が来るから」とかいうわけのわからん理由で しょっちゅうドタキャンしていた。
ごめんねぇ〜 

夫はとてもジェントルマンだったし、男前だったよ〜。
そして 札幌出身で その関西弁ではないところがとても スマートに見えた。

で 最初に2人で出かけたのは オーソドックスに映画だった。
私の強い 希望で「裸の銃(ガン)を持つ男Part.3」にしてくれた。
夫は見た事がなかったそうで ご丁寧に レンタル・ビデオ店でPart.1.2を共に借りてきて
予習するような真面目な青年だった。

そして「一体 こんな映画が見たい女って・・・???」と 私の頭の中が理解できなかったらしいのだが、
そして Part.1の途中で すでに あのギャグの連発にに 疲れを感じたそうでした・・・
とにかくそんなこんなで それ以来つるんでいた。

私は 当時、いわいる パラサイト・シングルの人生でええわと思っていた。
英語学校を卒業したら また海外で放浪するつもりだった。

が その考えが180度変わった。
阪神大震災で。大変だった。
TVの「夫が子どもの上を 覆って助けた」とかいう話に涙した。

私は 「夫になる人は 水を10キロ運べる人でないと」と 強く思った。
そんなこんなで 結婚に至った。

あまりにもタイプが違うので 皆が皆 驚いていた。
でも 今は 顔を始め、色々似てると言われるよ。

1997年4月14日 結婚した。宝塚ホテルにて。
この時 私たちが 向いている方の廊下に 広島カープの選手が たくさん
こっちを見てて 恥ずかしかった〜★ もしかして 金本くんも いたかも (^_-)-☆
広島から来た親戚のおっちゃんは、大喜びで 新郎新婦をそっちのけで
カープの選手を撮影してた・・・おい!


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