・・・・・・・・・・超おのぼりさん シドニー日記 -あとがき ・・・・・・・・

あとがきにとりかかる迄にずいぶん 時間がかかった・・・・のは、 旅を締めくくるようで淋しかったのか? 不明だが・・・・

そもそも。今回何故、シドニーに行ったのか、その理由を明確にしていましたっけ?

かれこれ、1年前だと思う、行政からの差別、閉塞感、療育の疑問、そういうものが重なって ノイローゼ気味だった。

その折、N市に引っ越ししてきたわけだけど、 
夫が夢を持とう! という事で、将来、オーストラリアで 住めたら...どぉ?って提案してきた。

細かいことは、「将来」のページでも述べた理由があって…「将来のページ」へ
「住む」からには 「働く」事は不可欠で…
いったい英語もままならない夫が 海外で仕事ができるんか…? 
お金もそんなにない… 私にはチンプンカンプンである。 
幸い、夫の仕事は ベンチャーというか、 遠距離を感じさせない仕事というのだけは 判る…

しかし そんなもん、日本でなんぼ調べても、ヒントも何も見えてこなかった。
行って 色々相談するしかないわ・・・と今回、コンサルタントを紹介してもらって
移民と仕事のご相談に行ったってワケ。

「ビザ」という言葉は、お聞きになった事はあると思うが、本当にこれが、大問題なんである。
「移民に関する法律」って、毎年のように変わっていて、年々厳しくなっている。

観光ビザ・ 学生ビザ・ビジネスビザ・婚約者ビザ・永住ビザ(アメリカで言うとこのグリーンカードみたいなもの)
なんかがある。そして、頼みの綱の、ビジネスビザは、昨年で廃止されちゃった。
それは 廃止された時から知ってて、「あちゃ〜」って感じだったが… 無念でござる!

ちょっと 旅行に行くなら、全く問題はないのであるけど、
学生ビザでは、バイト程度しか働けないし、ビジネスビザ申請には スポンサーの、強力な 推薦が必要だった。
スポンサーとは、会社・企業など。
それに、スポンサーがいても、本人の「履歴」が弱いと却下されるはず…。
ビジネスを始めるから、ビザを頂戴 と言っても、その会社がホンマに有益か?
わざわざ オーストラリアに来てまで、営業する価値があるのかどうか 大変厳しい査定があるらしい。

最近、中東のマフィアが、ケバブ屋を装って、銃やドラッグの密売に関わっているらしい。
香港マフィアが10年かけて、作った組織を、彼らは、5年で作ったが、その内部抗争が、かなり激しいらしい。
厳しくなった 背景には そんな事も関係あるのかも…?

ってわけで、いきなり、永住権を申請してネ という事だと 聞いた。
永住権取得は、資産、(ちなみに1億円あれば、無条件★)人となり、英語力、健康面、全ての面で 優れていなければならず、
とてもハードルが高い。 受かるわけないやん…

では 日本企業に雇ってもらう・・・これも無理よね〜…。日系企業は日々撤退中だし。

いやぁ〜、こんな事だったら、昨年に申請してたらよかった〜・・・ と言っても 後の祭り。

それと第2のハードルがだね・・・。
障害者差別禁止法があるオーストラリアとは言え・・・
養護学校相当の子供のいる 家族の移住、これには 「待った」をかけるらしい。

それは その子が、その家族が、うんぬんではなく、すでに 居住している障害者、もしくは 家族の 保障を守る為に・・・という事である。
ふ〜ん、それは、周りまわって、差別禁止法にはならんのか?・・・謎・・・

でも 大変なのは わかりきっていた話だったから、落ち込んではいないが、
色んな意味で 「住み、仕事をする」という 自国だったら当たり前の事に
と〜っても パワーを注がなければならないの★・・・とても大変・・・★  
でも 信長が 何か考えている様子… 

さて、シドニーでの毎日は、食べ物は、きつかったものの、障害児とその家族としては とても幸せだった。
私は久々に、「人間として 認めてもらった」 そんな気がした。大げさに聞こえるかもしれないけど・・・・
日本では 政府や、一部の世間は、我らの事は「チキン」(←英語で、人を蔑む言葉。)位の扱いだろう、フン。
餌(特別児童手当など)を与えて、害があったら、埋めたらええわ(「ずっと施設にいればええやん」)
・・・そんな風にしか思ってないんと違うの?
言っておくが、お金はいらん! のよ。 ・・・話がずれてきたかも・・・汗・・・

何度も書いたが、シドニーは古い町並みである。なのに、段差がない。
2000年のオリンピック、パラリンピックの功績は 大きいであろう、歩道も、 いかにも 
「ここに段差がありましたが、ゴリゴリと、削って坂をつけました」的。
それで いいのよ〜・・・支障はないんですもの。見てくれは悪いけど。

それと、有人の駅。プラットフォーム。
阪急電車だったら、改札の駅員室に、カーテンとかひいてあって、居るのか?居ないのか?
それで、インターホンで、「すいませ〜ん、駅の反対側に行きたいんですが、手伝ってもらえませんか」と 言ったら、
「駅の外に出たら 、スロープありまっせ」と、切られた・・・・クスン・・・
以前は 「お宅、それは 車椅子ちゃうやろ? 乳母車やろ」とも言われた・・・クスン・・・
乳母車やったら、あかんのかい? 
「もぅ ええわ・・・クスン」といじけたりした。外出したら そんなん ばっかりやった。 

保育園に行くのも、幼稚園に行くのも、極端な話、外を歩くのさえ、結局は「歩けないから」という 理由がもとで、色々言われて、外出も 面倒くさくて、いじけたり、ヘソを曲げていた そんな5年間だった。
バスや電車に乗っても 「バギーはたため」とか言われて、自分で座る事もできない幸希を どうやって
置いて たたむのか 「座れない」事さえ 理解してもらえず 地べたに置いたり 人は 悪者みたいに
そんな 私らを 黙って見てた…

ところが、シドニーでは、車椅子の表示をつけた 幸希のバギーは 当たり前の様に、駅員が 
「車椅子と、赤ちゃん用バギーと、自転車の為の改札口」を いつも ささっ と開けてくれた。
普通の赤ちゃんのバギーにも開けていたから、私達だけが「特別に、してもらう人」ではなかった。

改札の、すぐ目の前には、遠回りする必要もなく、エレベーターは、一番使いやすい所にあり、
広く大きく、使い勝手がよかった。
単に、「日本は土地が狭いからね・・・」そういう問題か???

あとは 民意や、認識か・・・?
動物園のロープウエーは、バギーを係員が乗せてくれた。
「上に着いたら、また係員が降ろすから。連絡いれとくから」と言った。 そんなことまでしてくれるのか・・・
何かにつけ、「Thank you, Thank you」と ペコペコしていたが、返事が、
「Why not?」・・・とか言われた。 
この意味合いというのは、「バギーで入っていいんか?」とか尋ねて、「それの何が、あかんねん?」という
否定疑問文というか、ようするに、「ぜんぜん かまへんで」(「全然 気にしなくていいよ」一応 関西人以外の 読者もいるので、解説) という意味。
「Sure」「ofcourse」「Not at all」「もちろん!」「全くオッケー」って事。

なんか、当たり前に「あ、行けるんや」「行ってええんやね?」という感じが 嬉しい。

今回は、学校関係には 行ってないからわからないんだけど、現地の養護学校に行かせている人が 言ってた。
あちらも もちろん障害の程度や、種類によって学校が分かれている・・・というのは日本と似ているみたい。
養護学校の数は 多いようだけど・・・どうも私立の養護学校もあるみたい、
この辺はまだ私も勉強不足で、きちんとした事を言われへんのだが・・・
うん、これは 私が直接聞いた話だからね。

どういう方針・訓練の学校に子供を通わせたいか? それは 親が決める事。
市や教育委員会ではない。
「障害児や障害者を持つ家庭に、どういうサポートが必要なのか?」を根底に、
学校の先生が親に「疲れていないか? 必要なら、レスパイトのボランテイアや
カウンセラーを 派遣するから、言ってね (^_-)」と 言ってくれる日常だと聞いた。

そんなん 1度たりとも、言われた事、あります?
障害児を生んだ、私らが 悪いように扱われてきませんでしたか?
自分の命を削る位、尽くしてやれ・・・といわんばかりの目に合った経験はありませんか?
こんな世の中で うちらの子の明るい未来なんて 想像できない。
その為、私達は、「うちの子より1日だけ 長生きしたい」と切望する…
はぁ〜・・・悲&惨。暗・・・

日本では 「他と違う」という事が とても 問題視されるような気がする。
それは なんでか? 農耕民族、村社会からの発展、
それと単一民族国家のせいか・・・?
ヒトラーも、アーリア民族至上主義だったではないか・・・
(もちろん、障害者もその時は異分子扱いだったらしい)・・・ もっと色々あるだろうけど、わからんわ・・・。

ちょっと、「わしズム」的になってきた・・・・汗・・・
とにかく、幸希の親であるという事に関しては、体的にも精神的にも 非常に楽であった。

きっと、もっと、もっと ビックリすることがあったと思う。
車椅子で入る事ができるプールもあると聞いた。ビーチも、車椅子で行けるとこがあるとか。

また 夏にAUSに行く機会があれば、絶対に幸希と ボードをしようと思う。
ボディー・ボードなら、サーフィンみたいに立たなくていい! 腹ばいで楽しむんだから・・・♪

なんだか こういう〆になりましたが・・・・

ご愛読、ありがとうございました。  ママより

 
. Home