■ 2 人 目 の 妊 娠 ■

幸希が生まれて ほどなくして 二人目の妊娠がわかった。 幸希の時はつわりもなかった私だが今回は凄…。
テレビで 「おえっ」「ひょっとして・・・・」というシーンがあるが 正にそうだった。で、いつも げーげーと
言っていた。(妊娠中から暴れん坊やったんやな… しみじみ…)正直 私は「この妊娠」にとまどった。というのは
幸希が未熟児で生まれ、色々困難を乗り越えて、やっと平和が訪れた・・・と思った矢先だったから。当時、ちょっと
した新しい事に実家の家族でトライしていたし、幸希の訓練もあったし、まだ フットワーク軽く居たかったのが本音。

幸希が帝王切開での出産だったので 今回も自動的にその予定で、入院するまで なんやかんやせわしい日々だった。

■ 普 通 の 入 院 ■ 

でも今回の入院は 憧れの幸せな入院だった。ルルル〜♪  お気に入りのパジャマやガウン、かわいい赤ちゃんガーゼ等
も準備できて、幸希の時は 嫌いでたまらない産科病棟だったが今回は違う。「世界が 違うわっ♪」バラ色よん。フフフ

7時になると夕食も終わり 静かで暖かく、大きな窓から 夜景が見え、時々 赤ちゃんの声がしてお乳の甘い匂いがしていた。
2月9日 と言えば 一番寒い頃だったけど…  ゆったりと出産を待つ時間ってこんなものなのね!! 感激。…と言いたい
ところだったが、手術の当日まで幸希が、風邪で外来にかかっていて 病棟から外来診察にウロウロしていた。(食欲もない!
大変や!! インフルエンザとちゃうか!!??と思っていたら ただの 便秘だった…) フ〜子供にはスケジュールがない。

今回は 手術前夜の絶食も行い ちゃんと浣○も行われ(笑)ごくごく 普通に 順調〜…に手術に望む事ができた 私だった。

■ 二 度 目 の 帝 王 切 開 ■



幸希の時を同じく、「赤ちゃんの泣き声はちゃんと聞いておかなあかん!!!」と思っていた。今回は あらかじめ メガネも
持参している。執刀医は、幸希の時と同じ先生 3人組。「緊急手術はワクワクする♪」と言っていた先生も またも一緒である。 
小児科のF先生はまだ来ていない。  「今回は 緊急じゃないから そのうち来る」とかいう余裕の発言だった。どの先生も
もうおなじみ。色々 2人目を妊娠してから 心配を打ち明けて、今回 最善を約束して下さった先生方だった。が、先生とは言え、
特に 幸希の悩みを色々としていた 小児科の先生にも お腹の中まで見られるのは すごい恥ずかしかった ヘンな話だが…。
「魚よ!魚! ヒトの体となんて 思ってヘンわ!爆笑!!」・・・と 実家の家族なんかは 笑っていたが…。確かになぁ〜。

例によって 背骨に注射 …今回の私は けっこう 遠慮がないので 「痛い〜〜〜!!」とか、「どこを切っているのか?」
とか あと何分で終わるのか?・・・とかべらべら喋っていた。さて、例のいよいよ「赤ちゃんが出ます」という 瞬間が来た。

やはり ドキドキする。喋っていたのは この時の緊張をほぐす為だったのかもしれない。「出ました!」なのに 泣かない。

「なんで 泣かないんですかね!?元気なんですか?? 大丈夫か… 」 一瞬に 色々考えた… 「今羊水を 吸いますから」
ジュルルル〜〜〜 なんかの 管で 喉とかに 詰まっている??? 羊水を 吸ったのかな?  水を吸うような音がしていた

「ほんぎやぁ〜〜 ほんぎゃぁ〜〜!!!」 すごい かん高い声だった。うれしかった。

私は、 へぇ〜…  これぞ 産声なんだと思った。 足元のほうでいつの間にか来てくれた小児科の先生が にこにこ笑って
「やったな! ごっつ 元気な女の子や!」と言ってくれた。 涙。そして 看護婦さんが 私の顔の横に、赤ちゃんを持ってきて
見せてくれた。ぎゃんぎゃん泣いて 暴れている。真っ赤で 手足を バタバタさせて 不思議な物体…だった。ずっと 見ていた…。

で、看護婦さんが「処置をしてあげるからね」と連れて行ってしまった。もっと見たかったのに…。よかった よかった。 あとは 
我慢 我慢。   先生が、小声で「卵巣はきれいですね。」「子宮も・・・特に異常はなさそうやね」とか ひそひそ 言ってる。

感覚はないけど いじくりまわしているのだな?   ※ おまけ:「では 子宮をお腹の中に 戻しますからね。胃を 上のほうに
に押し上げてから 入れるので 気持ち悪くなったら言ってね。」  『子宮』を いったん 体外に ゴロンと出してから子供を
出すらしいのよね。その時 お腹が ぐにゅぐにゅっ、ぼこぼこ ぼこん  となった・・・ いったい どんな手術か? やり方?
是非 夫に 立ち会ってほしかったな〜。…立会いはできないシステムだけどね。でも何かあったら ああいう密室は逆に怖いよね。

そしたら もぅ お腹が痛くて 痛くてたまらんのだ。 「イテテ〜〜〜」「おかしいな 麻酔は効いてるで」← 痛いのよぅ〜〜!
これが俗に言う 「後産(あとざん)」なの。今まで 大きくなっていた子宮が縮み始める。今回 これが痛いのなんのって。

■ 元 気 な 女 の 子 ■

手術や出産の時は 家族はだいたい 看護婦詰め所の前の談話コーナーでおろおろ そわそわと待っているのである。時々、陣痛室
から「うお〜〜〜」という、お母さんの オタケビが聞こえる事もある。 怖かったで…幸希の時は、母と夫がおろおろ待っていた。

今回、また小児科のF先生が説明に来られたのだが、開口一番、「なんの説明も、いらんわ。元気やから。」と笑って言ったらしい。




術後、目が覚めた私のところにも F先生が来られて「君の家族、今回は  ホンマに 余裕やったでぇ〜…♪」という事だった。

「だんなさんは  スポーツ新聞を読んではったし、君の妹さんは 姪っ子ちゃんと  棒付きアイスキャンデー食べとったし…」
皆 何してんねん!! 私は めちゃ痛いのに・・・!!!その上 そんな話聞いたら 笑えてお腹がよけい痛くなるやんか!!!
← 自分も ついぞ 1年前に居た未熟児室…今度は 妹を見る幸希・・・・



2000年 2月10日 午後2時4分(手術予定は 前から決まっていた)  10ヶ月 38週 
体重 2020g 身長40cm 頭囲 30cm 胸囲28.5cm アプガー指数 9/10


  

ただ 幸希だけは、手術の前 私が行ったのを見て?か、バイバイしてからか?妙に興奮して ぎゃーぎゃー言っていたらしい。
その談話コーナーは昔、幸希とパパが、あの日 初対面した所とガラス一枚 向こう。何か感じていたのだろうか?野生の勘?

ま。私は 会う看護婦さんや、先生、産科や小児科の 誰のでも 「今回はよかったね!」と言われていた。母乳が出るための
看護婦さんの マッサージもさぼって「寝てやる!」と うそ寝をしたりしていたけど思っても すぐ勝手にお乳が 張って来た。
幸希の時は まだ 妊娠7ヶ月の終わりだったから 母乳も出にくかったけど。とは言え、今回も 2020gという未熟児だった。
1日だけだけど 用心のため 保育器にも入っていました。未熟児室は1年前とあまり変わらず 時々見に来てお世話をしていた。 

今回は 母子同室でなくても 全然 気にならなくて、「静かなうちに 寝てやる… グググ」とばかりに寝てばかりいた。


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