・・・亜希と幸希と一緒の生活です・・・

幸希が退院してきた時は、本当に腫れ物に触るように子育てしていた。
幸希は貧血気味だったりで 薬を一滴でも大切に、哺乳瓶はミルトンをして・・・・
ところが・・・お嬢さんに ミルトンなんか したこともない! 
そして このお嬢さんは寝ない子でね・・・・「やれやれ 寝た寝た・・・」と
そぉ〜っと 私が部屋を脱出しようものなら 目を パチッ・・・・
床がミシリ・・・と言ったわけでもないのに・・・空気の流れで起きるというかね・・・
そんな子でした。 だから ホントに 退院後は 目が廻るほど忙しかった。
3月半ばの1ヵ月健診では 45cm 3320g と順調に大きくなっていた。



笑ってばっかりだったわけではない。
幸希のページにも書いたけど
私の 右手が不自由になってしまって、
(半年後位に、前骨間神経マヒという病名がわかった。
それも 法事の席で 同じ症状で手術したイトコに教えてもらった)痛かったり、
動かなくって 悲惨だった。自分の通院はあるし 訓練やら 世話・・・
なんと言っても、赤ちゃんが二人である。
幸希は実際、ご飯も一人で食べる事もできず 何か言っても
それを行動に移す事なんてできなかった。
歩けない 座れない。
そして 寝ない亜希・・・・

幸希の訓練を頑張る為と、2ヶ月位実家にいた。
亜希の事もしてやりたいけど
まず、幸希のボイタの訓練に励んでいた・・・
そのせいか 亜希は いつも わ〜わ〜と泣いて アピールする子だった。
・・・確かに妊娠中から 暴れん坊だったからなぁ・・・・
とにかく よく泣いて しょっちゅう ウンチをして 
「うわぁ〜〜〜また してるぅ〜〜〜キレイにしましょう」
「お姉ちゃん!亜希ちゃん また やってるで!!」 と大騒ぎな 子だった。



幸希は亜希を見て
「かわいい してあげて」というと
「かーい かーい」と
言っていたのだ・・・<
どう 思っていたのだろう・・・?
あの時、できていたのに 
なぜ今できないのかは
七不思議のひとつだが・・・






次のページは・・・★ 「 2000年 色々 」へ ・・・

・To.亜希のページ トップへ

・To.Top page