・・・2000年 色々 前半・・・・
・・・・新生活の始まり、一緒に療育園に行きましょう・・・




4月には幸希は療育園の通園児になったので 
4月の始めには もう 私は幸希を連れて 母子通園していた。

そういえば、まだ 時々帝王切開の傷が痛い時もあったし、
お乳が張ってきて、
でも亜希は実家において、通園していたから 
お乳がパンパンになったりして困った事もあった。
今、思ったら 入園の時期を、ずらしたりしてもよかったのに 
ホント  必死だった・・・

で、連休に 実家から 家に帰った。 
だから連休明けから 亜希も連れて 療育園に通う事になった。
まだ 歩かない幸希を抱いて、亜希は籠に入れて、タクシーでの通園は本当に助かった〜。

療育園では託児室っていうのがあって、ベテランの保母さんがおられて 妹 弟たちの お世話をしてくれた。
亜希は生後3ヶ月から ここにいたから、彼女は 人見知りって全くしないのかなと 私は思っている。
先生は優しく、本当によかった・・・

後に私のHPの先生となる妙子先生のお嬢ちゃんの日菜ちゃんも 託児室で一緒に過ごしていた。
日菜ちゃんとは、のちのち同じ保育所に通う事にもなるので この家族とは、
ホントにご縁があるんだろうな・・・生まれた時期も 亜希は2月で 日菜ちゃんは 3月3日で。

ここでも亜希は「亜希ちゃんは 今日は珍しく 寝ています」と言われる位に やはり寝ない子だったらしい。

・・・お宮参り・・・















2000年4月22日。晴天で暖かかった。お宮参りに行った。
行き先は幸希の時と同じく、西宮戎神社。

いったいこの子らを連れてのお宮参りなんて どないなるのか・・・私は着物やし・・・
と不安だったけどなんだか すごいおりこうさんだったもので とても助かった〜♪
大学の時の卒業アルバムを撮ってもらった 写真屋さんが戎神社の隣で・・・
そこで たくさん写真を うつした。

そして 連休前に やっと実家での居候生活を終えて、家に帰った。

それからの亜希を本当にかわいがった。何しろ女の子である。
それに 抱くとフワフワと軽い。柔らかい。幸希は体の緊張があるので 固いせいか 余計にそう感じた。
そして 亜希は降ろそうとすると足で 私の体をきゅ〜っと つかまって本当におもしろかった。
お顔が「ブー子」だったので少しでも愛らしく見せようと 可愛い服ばかりを探していた。 これ、マジよ。

6月 お食い初めをした。 スポーツカーを ワゴン車に買い替え〜 夫婦ともに初めてのワゴン車・・・緊張・・・
7月 パパが独立して新しい会社を設立する
8月 離乳食を始める
9月 シドニーオリンピックがあった。北海道のおじいちゃん、フミちゃんが来て初めて 会った。
皆で香川の高松に行った。 色々 理由があって・・・笑   亜希、初めてのお泊り・・・

↓ ゆっくり寝てくれ・・・・ 初めての夏♪  髪が全然伸びずに・・・あだ名は「ガッツ石松」「藤原組長」














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