・・・・・・・ 刀@  おまけの ちょっと した 余談 刀E・・・・    

実は それまでに 「お初の海外旅行」っていうのは 体験済みで・・・ 大学2年生の時に パリ経由で イタリアに行った。

その年の夏休みに 結構 ハードな バイトをしてて、どんなバイトかっていうとまた 全然 大学とは 違う流派の『教会』・・・
しかも 芦屋の奥池にある 『修道院』  そんな バイトって聞いた事ないと思うが・・・

・・・というのは、うちの 母の姉 つまり 叔母の 本当に近しい人で、私も小さい時からよく知っている人に 
「ちょっと 夏の間だけ 大掛かりな 『おさんどん』を 手伝ってくれない?」って言われたワケ・・・
注:「おさんどん」とは 食事作り 掃除 その他 ママ的仕事

修道院って言ったら 「♪天使にラブソングを♪」みたいな イメージがあると思うけど全然違う。歌も歌わん。 普通の 近代的な建物に 
教会ルームがあって、修道女は、皆 昼間は普通に 世間に出て 仕事をしてて あんな いかにも 「キリスト教」って格好はしていないし 肉も食べる。
暦的に 食べない週もあったり、「祈りの週」とかいう 夕食後は 皆 ずっと 祈っている日もあったけど・・
敬虔な カトリック教の信者さん達で、生粋の日本人よりも 外国の人とか ブラジル人の2世の人が多かった。

私は キリスト暦的に 行事の忙しい夏の間、雑用のバイトに行ったってわけ。
食事作り(フル・コース これが キッチンとの最初の出会いかな〜とも思う) 掃除 洗濯 サービング 色々。
一緒にするのは、修道女の若い子 2人と 私と もう1人のバイトの子だった。4人 仲良しになった。
おさんどんなんか 家でも滅多にしないのに・・・よう やってたなと思う。
修道女の若い子が リーダーで色々と教えてくれた。 テレビを見ながら アイロンをあてたりしてもよかったけど
見てはいけない 番組とかは あったような気がする・・・(ハレンチ系)

で・・・ずいぶん 私は可愛がって頂いて、その年明けの 3月の復活祭に 皆が
『パパ様』に会いに バチカンに行くのでケイコちゃんも よかったら いかがですか   と誘われた。

注:バチカン王国 世界最小の独立国というか カトリックの草本山の 大教会がある敷地だけの 国。ローマ市内にある。
その 大教会の礼拝堂に 有名な「最後の審判」や「天地創造」(ミケランジェロ)とか 「ピエタ像」とか 
世界的芸術品がごろごろとある。(どれも 人間の技とは 思えない程 スゴイ)


で、『パパ様』って誰や・・・ と 思ったら 『ヨハネ・パウロ2世』やった・・・・汗

ま そういう 珍しい旅行で 何しろ 一緒に行く人が安心なもんで うちの母も「じゃ〜こんな娘ですが どうぞ よろしく お手間かけますネ」
ってな感じで 行くことになった・・・。日本からの参加は 6人位だったかな〜・・・
それが 世界の何カ国かにある 教会員がバチカンに集まって来る という 図式だった。 パリでは パリの修道院に泊まった。
とても 雰囲気のある 建物だった・・・
私を、そのバイトに誘った人は、その年、ローマの神学校に 留学中だった。私は 叔母から 色んな物を 預かっていった。

当時は ヨーロッパへ行くのに 旧ソビエト崩壊前だったので  アンカレッジ経由(アメリカのアラスカ) の「北廻り」、
もしくは 中東上空を飛行する「南回り」の路線が あった。私たちは 価格の安い 南回りで 行った。そのぶん時間はかかるが。

アラビア半島上空で 「窓の光が 外に出ないように カーテンを 下ろして下さい」と言われた。
狙撃される事があるとの注意だったが、聞いちゃ〜いない・・・「何か あるんかな?」と(見えるかい!!)カーテンを あげて ごっつい 怒られた・・・・

中東の バーレーンの空港で、乗り継ぎの為 降りて 女の子達で でウロウロしてたらスカート姿で 足を出していたものだから
(でも そんな ミニとかではなかったはず・・・) アラブ人の殿方は 大騒ぎであった。(敬虔なイスラム国家・・・)
今の 政治状況では もう考えられないような そんな 旅路・・・
今も、南回りはあるだろうけど こんな世の中だし、今はロシアの上〈シベリア上空)も 飛行できるから 北廻りの路線は
事実上 ないと思うが・・・(定かでは ないけど)

旧ソビエト崩壊前は、ロシア上空を 飛行できるのは 莫大な契約金をロシアの国営飛行機会社に支払っていた 
大手航空会社で その便数も かなり制限があったので ヨーロッパには 迂回ルートが常識だった。
とにかく イタリアには ちゃんと到着して 確かに 「パパ様」にも とっても近くでお会いした。
一応 めちゃ 偉い お方なので 最高の フォーマル着って事で日本チームは 振袖を 持参していた。

イタリアは 「パパ様」の存在をはじめ 全てが常識を逸脱した 荘厳さで キリスト教信者ではない 私でさえ 表す言葉が今でも ない・・・夫にイタリアのすごさを伝えようといつも 思うけど 言えない・・・

イタリアは ともかく、パリなんか 何もかもが 夢の中のような 雑誌で見たような 世界だった。

そんなのが 初回の 旅だった。


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