隣 の 市 に 引 越 す
幸 希 4 歳
引越しのことは静かに進めながら12月。幸希は4歳になった。4歳のお誕生日が、事実上、お別れ会になった。この療育園には、0歳の時から来始め、
1歳の誕生会もしてもらった。そして今日、4歳… そしてあと何日かでお別れ。お誕生日と言えば、今までは 周囲の人、そして 自分に
「成長が遅いのは未熟児だったから…」 と そればかり口にしていた。でも もう通用しない年齢にさしかかっていたし、追いつかないんだ。
その事実に目をそむけていた私が居たけれど、そろそろ目を向けなくては… 引越しを決めたのはいいけれど、今後どうしたらいいのか・・・・・?
ボイタの訓練は続くのだろうか… 精神面の訓練はどうしたらいいのか… 実はめどはたっていなかったけれど、お別れを惜しむとかそういう
気持ちには あまりなれなかった。 意外にさっぱりとした気分だった。 先生に色々言われたから、療育園を変わりたかったから…だとか、
そういうわけではない。 園の方針がとか どれかひとつ、ああだった こうだった というわけではない。 とにかく気分を変えたかったからだ。
引 越 し
1ヵ月後の、2002年の12月14日 引越。 前の晩 「明日は引越しだねぇ〜〜」とごくごく親しい家族ぐるみの友人・・・・このHPの作り方を教えてくれた
T子と子ども達、同じ脳性麻痺で、1歳からずっと同じクラスだった憧れの障害児の Momoちゃん母子と 「お別れ飲み会」 よくこの家で飲んだよね。
ちなみに… 調子よく飲み過ぎて、朝、寝坊をして引越屋さんに起こされる…という結果になってしまった! 苦笑!夫は忘年会帰りで二日酔い 笑
療育園も、結局年度の途中で退園。 ただ 今年、担当のPTの先生は、非常に私のケアをしてくれた。とにかく、私の気持を聞き 尊重して、色々
取組んでくれた。交換日記もした。ものすごく感謝している。急にやめちゃったので気を揉まれたんじゃないかと思うけれど、本当のことを伝えたい。
今となっても伝えきれずにいるのだけど 2005年 4月に 「幸ちゃんも いよいよ小学校ですね!」とメールを下さった…先生 ありがとう。
引越ししても、転居先の療育園の諸事情で、すぐには 新しい療育園にも亜希の保育所でも待機児童で、また 年が明けてしまった…。
新しい年になり、新しい園では、何度も何度もカウンセリングがあった。ケースワーカーの先生。園長先生。ありがたかった。気が晴れた・・・・・
いわいる 通園の子らを横目で見ながら、1月〜3月の間は、毎週1回の、外来でPTの訓練と、保育にも参加した。今回のPTは男の先生だった。男の
先生も 幸希と 男同士でいいもんだなぁ…と思った。 この園ではボイタは行わない方針で、長らく重い鎖で縛られていた心が解放された…。
↑夙川公園。夙川短期大学による 風の催し。 中:家の下の河原。 右:春は毎日がお花見!!夏は蛍が飛ぶよ。
亜希が生まれた時から、ずっと通園していたので、私は平日、子どもと私とで のんびりと過ごしたことがなかった。ゆっくりと 親子で遊んだり
お昼ごはんを食べたり、家で粘土をしたり 絵本を読んだり 工作したり… そういう生活をしてみたかった。 ついに3人で平日を過ごせるんだ…!
おかしなことに、実際 3人でゆっくりと、日々過ごすというのは妄想で、実は てんてこまいだった… 笑 すぐに4月を心待ちにすることに…笑
時間があったので家族で台湾にいる友人を訪ねて旅行できたのはいい経験だった。 あと、お洒落本みたいな生活はありえないというのもよくわかった。笑
おまけ…:秘密のページ