人 生 と 旅 と 禅  



  

ちょっと 一部 重複しますけど… 下

【行雲水流】という言葉をご存知でしょうか…。正確には『雲行き 水流れる』という言葉です。これは「禅語」というものです。

禅宗では『人生は 脈々と続く 修行の連続であり、その修行には 終わりがない』と言われています。禅僧は「 好きな寺で
修行し、一箇所にとどまらず、また次の師を探して次の寺に行く」まるで 川の水が ひとところにとどまらず、四角い所では
四角く収まり、大きな岩が現れても、ぐんぐんと海に向かって進んでいく。相手に合わせて 形を変え でも誰かに強制されて
いるわけではない。山頂では、雲は すぐそこにあるように見えるけれど 誰にも 雲は掴めない。そして自然に流れていく…
【 厳しくも 自由で、自然体な様子 】を表していたり、『 自由に生きましょうよ 』という意味もあるそうです………。

禅僧のことを 禅寺では 《雲水》と呼びます。今日も多くの雲水たちが お寺の中を走っている事でしょう…。

ウチらもそういう風に 生きて行きたい… と 思いつつ この言葉に 背中をおされつつ…? 西へ東へ 動いています。

禅宗では「我知一不足」『我1つ 足らずを知る』と言います。「ムフフ。カンペキ★」と思う自分にも必ず何か1つは欠けている。
「禅」とは「自分に問い、見つめ続けること。」今「禅」は「ZEN」と呼ばれる事が多く意味も 変わりつつあるような感じがします。 

石庭で有名な『龍安寺』の 14個の石は 廊下のどの角度から見ても どれか1つの石が他の石の影に 隠れて見えない設計に
なっているのだそうです… ↓ 今日は同じ禅宗の 宇治市の萬福寺に行きました。修行にダッシュ!!の雲水たちを多々見ました。
こちらのお坊さん=雲水方は、「優しい〜…」雰囲気ではなく 皆さん 剛健で 弁慶のような雰囲気の方ばかり…びっくりした…   


    

↑ 上の大きな魚は 海水パンツ… いや こういう漢字の「カイパン」なんです。この黄檗山全体に響き渡るように 行と行の
時間を知らせる いわば 時計代わりのものです。厳しい修行の中、なかば 「ヤケクソ」で叩くので ボロボロだそうです。

魚の仏教的位置付というのは「いくら回っても終始がない 頭と尾を結んだ魚の形=木魚の形は 霊魂不滅の象徴として
仏教倫理の基本。口にくわえているものは 人間の3業をくわえてくれており、この存在自体が 毒のない【結界浄土】を
表ています。これはなんと「茶道」に通じるものがあるのです。これを鳴らす事によって 『時も また 一期一会』であり 
日々、常々 自分を浄化して 仏教行事に取組むのだそうです。鳴らし物は 多々ありました。勝手に鳴らすのは 厳禁ですっ…。

画像 右は 大雄宝殿の 本尊 釈迦牟尼佛。1654年 中国福建省から渡来した 隠元禅師により 建立。

ママ的には 中国から来た僧が建立した、東洋的 まさしく 「シノワズリー」+ 永遠の課題、「お茶」と「書」にも  
とても関わりの深い お寺だから その点でも お気に入りです。普通のお寺に比べ、 禅寺って質素で面白くないかもしれません。

    


お寺の門前に 普茶料理(中国精進料理)があって とても美味でした。2003年 『JAL 音楽の祭典 京都 音舞台』は 
ここで、行われました。サラ・ブライトマンの♪Time to say good bye ♪ と このお寺 そして 満月が この世のものとは
思えない 神秘的でした。  … 見に行ったわけではありません… 後日 テレビで 鑑賞しました。

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